↑ スイモアジョンソン基地に駐機するF-4E/73-1164。渡辺師匠のスライドコレクションにも4th TFWのF-4Eは、数多くの作品が含まれているが、何故か336th TFSの写真は少ない。尾翼のチップを黄色で飾ったF-4Eの列線の写真は貴重である。
第4戦術戦闘航空団のモットーは、「名前は第4だが、いつも一番に戦うぜ」・・・である。いつも第一線で戦ってきた当航空団のファントムは、D型から1971年4月までに全飛行隊をE型に更新を終える事になる。第336戦術戦闘機中隊は飛行隊3兄弟で、一番末弟に当たる飛行隊だった為、最後にE型に更新、テールレターも”SA””SB””SC”の”C”を使っていた。テールレターが、”SJ”に統一された後は、スコードロンカラーの黄色が彼らのシンボルとなる。前ページに続き、同隊のカラー写真とイラストを並べてみる。
↑ 336th TFSの隊長機にスコードロンカラ―の帯を入れ始めた最初の機体が、1981年に撮影されている。機体は、下面までベトナム迷彩を施したオーバーラル・カモフラージュと呼ばれるもので、空戦時敵機から自機の姿勢を見分けにくくする効果があったのだが、帯を入れる事で迷彩効果は無くなってしまった。しかし この後も各飛行隊が隊長機に帯を入れたのは、F-86以来の部隊の伝統を優先させたものであろう。
↑ 同航空団は、E型更新の後直ぐにタイのウドン空軍基地に派遣され、ベトナム戦の最終場面に投入された。機体は、8th TFW/336th TFSに移管されたが、塗装を変える前に1972年8月19日、シェファー大尉とマッセン大尉のコンビが、この機体でMIg-21 1機を撃墜している。
(F-4E/73-1180)
↑ ネリスでの撮影機数が、予想を遥かに超えて多かったため、持参したパナトミックスXの長巻フィルムが底を打ちそうになり、再びK-Martに行って慌てて購入したのが、KR-64。この一連の撮影行で、リバーサルフィルムを初めて使い始める事になったが、色落ちがしにくい優秀なカラーフィルムである。この着陸態勢にあるF-4E/73-1180は、この撮影日からほぼ2年後の1982年3月23日にネリス近郊のテンピューテ山に墜落して、2名のパイロットが無くなっている。
↑ リバーサルで撮影したもう一枚が、F-4E/67-0208。この機体は、ベトナム戦争時388th TFW/34th TFSに所属して、シャークマウスとインテーク横に白いダイアモンドを描き”Here Comes The Judge”と書かれていた機体で有名である。1984年にトルコに売却されている。
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↑ テールレターが、黒く塗り直されただけで、全体的に暗ーいイメージとなる。スコードロンカラ―の黄色も一本のベルトになって尾翼に描かれるようになった。スイモア・ジョンソン基地は此処に務める多くの人からは、”Shady-J"と呼ばれていた。
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↑ 1982年同航空団に4つ目の飛行隊337th TFSが加わった後、迷彩もヨーロピアンⅠに統一され、各飛行隊の司令官機にはスコードロンカラ―の帯が入るようになった。国籍マークなどは黑のステンシルに変更されている。
↑ 前ページの白黒写真と本ページのカラー写真にある1979年から980年に掛けての標準的な塗装パターン。1972年のテールレター”SJ”えの統一後、左右のインシグニアは、何れも航空団のものとなり、飛行隊識別は尾翼のチップの色分けのみとなった。
336th TFS "Rocketeers"
(F-4E 1970~1988)